神奈川県最古の板碑「寛元銘板碑」

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神奈川県最古の板碑「寛元銘板碑」


 横浜市北端の県境にほど近い青葉区鴨志田町は、鎌倉時代は鴨志田郷と呼ばれていた。

 谷本川(鶴見川)を見下ろす鴨志田町の甲台と呼ばれる台地の上に鎮守の甲神社があり、西側の丘陵には念仏堂の字名の残る共同墓地がある。この墓地の一角に神奈川県最古といわれる寛元二年(1244)銘の大型の板碑(中世の供養塔婆)がある。

 昭和47年(1972)、この地の土地整備が行なわれた。その際、板碑とその前にある一抱えほどの大石を取り除いたところ、深さ約五十cmの所に骨壺が埋められていて、壺の割口は平らで周囲には六~七個の細長い河原石が取り巻くように並べてあった。

 板碑は秩父産の緑泥片岩で作られていて、碑面には阿弥陀如来をあらわす種子キリークが大きく薬研彫りされ、その下の右側に「寛元第二口」、左側に「七月廿口」の紀年銘が確認できる。
法量は、高133cm、上幅47.5cm、中幅49.5cm、下端幅52.0cm、厚さ8.0cm。

この寛元銘板碑は、県内で確認されている板碑の中では最古のものである。

 寛元銘板碑と蔵骨器の被葬者は鴨志田郷の領主鴨志田十郎かその一族であると思われる。鴨志田十郎は鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』に、建久元年(1190)と六年(1195)の二度登場し、頼朝の上洛に随兵して御家人役を果たしている。

 なお、国内に所在する紀年銘のある最古の板碑(板石塔婆)は、埼玉県熊谷市にある嘉禄三年(1227)の銘がある嘉禄銘板石塔婆で、寛元銘板碑より17年古い。

寛元銘板碑は、平成4年(1992年)に横浜市指定文化財に指定された。

場所:横浜市青葉区鴨志田町529-7(市立鴨志田中学校裏)
交通:東急電鉄田園都市線青葉台駅下車、東急バス鴨志田団地行終点で下車260m。





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第一版
2024年2月25日


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